老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

體源鈔

浜菊

日本の音楽書の古典はいくつかありますが、最初に読んだのが、笙の豊原家の體源鈔だったので、いまでも時々、手に取ります。漢文の部分は読めないので、読める部分を拾っていく感じでも、なんとなくわかる個所はあるものです。

管絃は、慈悲の心を持って、常に、もののあわれを知り、いつも心を澄まし、世を厭い、佛になろうと思う者がするものである。という一文があります。

ただ、楽器ができればいいのではなく、精神面が大切であると言っている気がします。

 

譜に残すこと

すみれの花

春の夜、うつらうつらと眠気に誘われ、手が動かず、耳も利かず、練習になりませんでした。気がつくと、舟を漕いでいる始末。

練習の時に、いつも弾法を譜に残すことの大切さを説かれるのですが、なかなかできないものです。弾き方は、なんとか記載できますが、琵琶の音程を、どのように記載すればいいのか、まだ、わかりません。薩摩琵琶には、口琵琶(くちびわ)という便利な唱歌があります。弾法を何度も聞いていると、声にするのは恥ずかしいですが、トッチャチャーンと頭の中に浮かんでくるものです。口琵琶は、音程や余韻を表現できますが、譜に記号で余韻を表すのも難しいところです。でも、録音がある現代は、昔よりずっと教材には恵まれているようです。昔は、相当な苦労があったからこそ、すばらしかったのかもしれません。

春の野

藤花

梅ヶ渕に少し立ち寄りました。よく晴れた空には、ツバメが飛び交い、川沿いには、若葉の上で蝶や蜻蛉が羽を休めていました。春を喜ぶように揚羽蝶が、活き活きと飛んでいきました。昼下がり、訪れる人も少なく、一人二人すれ違いましたが、静かなお堂でした。藤の花が風に吹かれ、香りが風に乗って伝わってきました。

琵琶曲 城山

一ハ(いちはつ)の花

琵琶曲『城山』の練習をするとき、弾奏を見ていて、本気度が高すぎて圧巻されます。昔の方の録音を聞いてみても、ものすごく絃を張り、糸巻が壊れないか心配する程の緊張感です。この曲に対しては、特別な思いを、弾く方それぞれ持っておられるのだなと感じました。端歌とあまりに違い過ぎます。

平成元年頃の新聞の記事に、漢詩の第二句「一百里程堅塁間」が本来の詩のとおりとのことが書いてあったようです。琵琶歌は、「一百里程塁壁間」になったままです。

金曜日の夕方

図書館

特に何か用があるわけではなく、渋滞を避けて、久しぶりに立ち寄りました。年度末、学生も進路が決まった人は喜びの渦中でしょうが、希望が叶わなかった人は、それぞれの一年が始まるのです。たまに見かける浪人風の方、親御様がお弁当を作ってくれているように見えることがあります。早く春が来るように祈る気持ちです。

茶花

射干の花

今日は茶道の当番でしたので、早めに行き、先生の準備の手伝いをしました。いつも茶花を持ってくる方から花を預かり、その中に射干(シャガ)の花がありました。山の水が通るような場所に群生する射干は、とても好きな花のひとつです。沢などで見かけると、華やかな割に色が淡いせいか、遠目には白い花に見えます。帰りにもらってきました。