日本の音楽書の古典はいくつかありますが、最初に読んだのが、笙の豊原家の體源鈔だったので、いまでも時々、手に取ります。漢文の部分は読めないので、読める部分を拾っていく感じでも、なんとなくわかる個所はあるものです。
管絃は、慈悲の心を持って、常に、もののあわれを知り、いつも心を澄まし、世を厭い、佛になろうと思う者がするものである。という一文があります。
ただ、楽器ができればいいのではなく、精神面が大切であると言っている気がします。
春の夜、うつらうつらと眠気に誘われ、手が動かず、耳も利かず、練習になりませんでした。気がつくと、舟を漕いでいる始末。
練習の時に、いつも弾法を譜に残すことの大切さを説かれるのですが、なかなかできないものです。弾き方は、なんとか記載できますが、琵琶の音程を、どのように記載すればいいのか、まだ、わかりません。薩摩琵琶には、口琵琶(くちびわ)という便利な唱歌があります。弾法を何度も聞いていると、声にするのは恥ずかしいですが、トッチャチャーンと頭の中に浮かんでくるものです。口琵琶は、音程や余韻を表現できますが、譜に記号で余韻を表すのも難しいところです。でも、録音がある現代は、昔よりずっと教材には恵まれているようです。昔は、相当な苦労があったからこそ、すばらしかったのかもしれません。
令和6年5月12日(日) 第56回薩摩琵琶春季弾奏大会
開催時間:13時~17時 出入り自由 観覧無料
場所:黎明館講堂(黎明館駐車場有)
特に何か用があるわけではなく、渋滞を避けて、久しぶりに立ち寄りました。年度末、学生も進路が決まった人は喜びの渦中でしょうが、希望が叶わなかった人は、それぞれの一年が始まるのです。たまに見かける浪人風の方、親御様がお弁当を作ってくれているように見えることがあります。早く春が来るように祈る気持ちです。
今日は茶道の当番でしたので、早めに行き、先生の準備の手伝いをしました。いつも茶花を持ってくる方から花を預かり、その中に射干(シャガ)の花がありました。山の水が通るような場所に群生する射干は、とても好きな花のひとつです。沢などで見かけると、華やかな割に色が淡いせいか、遠目には白い花に見えます。帰りにもらってきました。