老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

體源鈔

浜菊

日本の音楽書の古典はいくつかありますが、最初に読んだのが、笙の豊原家の體源鈔だったので、いまでも時々、手に取ります。漢文の部分は読めないので、読める部分を拾っていく感じでも、なんとなくわかる個所はあるものです。

管絃は、慈悲の心を持って、常に、もののあわれを知り、いつも心を澄まし、世を厭い、佛になろうと思う者がするものである。という一文があります。

ただ、楽器ができればいいのではなく、精神面が大切であると言っている気がします。