老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

昔の薩摩琵琶の会報を見ていて思うこと

昭和45年には、薩摩琵琶会員が50人ほど名簿に載っています。月日が流れるうちに、今では薩摩琵琶を弾く方は十数名ほどでしょうか。当時は、弾奏会に出れないくらい賑わっていたそうです。いつの間にか、会派が一つまた一つと消えていき、薩摩という名前がつく楽器なのに、実際は鹿児島では風前の灯のように感じます。灯が消えてしまうのではないかという不安と、失くしてしまうと先人の方に申し訳ないという気持ちの間で、自分に何ができるのか時々、自問します。