老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

便りも絶えて

沖縄を離れても、毎年のように手紙のやりとりをしていた方がいました。

七年過ぎ、次第に、便箋もチラシの裏紙や封筒の表に書いたり。「思い出に。」と、急に獅子の飾りが送られてきたので、気にはしていましたが、便りも絶えました。

戦中・戦後の沖縄を生きた方。内地では考えられないような大変なご苦労をされたと思います。転勤で行っただけの自分をほんとうに大切にしていただき、最後まで社会奉仕に生きた深い慈悲の人格をお持ちのお方。滅私の人間が世の中には、いることを教えてくれた自分の人生史に残るお一人でした。

那覇空港から沈む夕日、空港はいつも別れの場所です。