老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

雪の山寺~旅行

御影堂

音が無いことに気づくほど、普段の生活でさまざまな雑音や人工的な音に何の違和感もなく過ごしていることが怖く感じました。常に何かの音に囲まれて神経を使っているから、疲れやすい世の中なのかもしれません。どこへ行っても、意味のわからない音楽が流れている街が、とても虚しい姿に思えます。

朝の勤行を見ながら、普段きちんと修行をされている姿が感じられて、うれしいかぎりでした。