老鶯日記

むかしの鹿児島の面影を求めて、庭の花とともにつづります

崩れの音色

まだ明るい夏の夕方に、自転車で福祉館まで薩摩琵琶を習いに行っていた頃を思い出します。当時は、年長者の音高にそろえて、ひとりずつ順番に弾いていく、昔からのスタイルでした。

その頃は、傍らで崩れを聞いているだけでしたし、自分が金剛石を謡い終わったあとには、「出だしがのう、いかん。一番大事なとこだからのう。」と言われる始末。

今、崩れを練習していると、当時を思い出します。コロナが終息したような世情になりましたが、もう当時の姿は、なくなってしまいました。

河骨の花